提言2 「イニシアチブ」の勧め

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提言2 「イニシアチブ」の勧め

この提言は、日本機械学会生産システム部門「つながる工場」研究分科会が、2015年3月にまとめた中間報告”Industrial Value Chain Initiative 「つながる工場」によるつながるものづくり”を再掲載したものです。

1. はじめに

ものづくりをとりまく環境が、めまぐるしく変わろうとしています。ドイツ政府が主導するインダストリー4.0 1)がひとつのきっかけともなり、全世界的な規模で、ものづくりとICTの融合による新しい時代を目指して、企業の垣根を超えたさまざまな活動がはじまりました。日本国内でも、日本機械学会生産システム部門の呼びかけにより、平成26年6月に、産学官の有志による提言が公開され2)、ものづくり大国である日本の製造業も、徐々にその進むべき方向性を、いったんものづくりの原点にまで立ち返って、根本から見直そうという機運がたかまっています。

この小論は、前述の提言を受けて日本機械学会内で設置された“インターネットを活用した「つながる工場」における生産技術と生産管理のイノベーション研究分科会(P-SCD386)”(略称「つながる工場」研究分科会)の活動の中間とりまとめとして、これまでの議論の成果を、できるだけ多くの関係者にご理解いただけるような解説書としてまとめたものです。研究分科会は、平成28年2月の終了までまだしばらく期間を残していますが、世の中の流れがはるかに早いため、予定を大幅に早めて、具体的なアクションの提案をしていくことになりました。

「つながる工場」研究分科会は、日本を代表する製造業において、その中長期ビジョンを策定する責任者や実務家、情報サービス産業やICTの新しい展開を模索する企業の戦略スタッフ、生産工学、情報工学、経営学など、各分野で活躍するアカデミア、そして各省庁にて政策立案に携わる担当官などをメンバーとして、まさに産学官の垣根をこえた活動をしています。この貴重な場を、単なる意見交換、あるいは現状調査で終わらせるのではなく、未来へ向けたアクションに関するベクトルを合わせるための場としていければと考えています。

日本人は、大きなコンセプトを他に先駆けて提案することが苦手であるとよく言われます。前例がないと、なかなか前に進めないという傾向や、出る杭は打たれる的な文化が未だに根強いのは事実です。しかし、そうだとしても、ごく一部の有志グループに限定されてでもよいので、そろそろ、他にさきがけてリーダーシップを発揮し、あたらしいものづくりの世界でイニシアチブをとってもいいのではないかと思います。

だとしたら、何をどうすればよいのか? 日本の製造業はどう変わればよいのか? 小論はこの問いに対して、「つながる工場」というキーワードを手掛かりに、研究分科会での活動を踏まえ探しあてた1つの方向性をまとめたものです。研究分科会の後半は、おそらくここで述べられている内容を具体化し、現実のプロジェクトとして社会に実装していくことに重きが置かれることになるでしょう。そしてその流れは、最終的には、研究分科会から生まれた新しい組織に引き継がれることが理想です。

この小論が対象とする読者は、生産システムに関する専門家だけではなく、工場のマネージャ、関連業務のマネージャ、中小企業経営者、および製造業以外の業種(たとえばICT企業)の管理者、技術者、製造業支援コンサルタント、大学等の研究者、政策立案者、などです。できれば、これまでものづくりにはあまり関心がなかった人に読んでいただき、ものづくりの世界をより身近なものと感じてもらいたいと思います。ものづくりとICTが融合することで、ものづくりから派生した、さまざまな“かっこいい(クールな)”世界が広がることを、そしてそうした人々がイメージできたとしたら、この小論は、十分な価値があるといってよいかもしれません。


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2. 現状認識とものづくりの課題

日本の製造業が置かれた状況は、ここ1、2年の景気動向や為替レートによって、いったんは持ち直しているようにも見えます。しかしながら、貿易収支を見れば歴然とわかるとおり、モノを作って輸出する力はかつての1970年代、80年代からは比較にならないほど落ちています。また、雇用の受け皿としての期待も、失われた20年を経て、今では完全にサービス業にとって代わられています。

加えて、産業のコメと言われてきた半導体産業の失墜と、それに拍車をかけたコンシューマ向けエレクトロニクス産業の低迷により、日本のものづくりへの自信とプライドが大きく揺らぎました。アップルコンピュータに代表されるイノベーティブな商品の企画力の欠如が、そのまま企業の収益力に影響し、技術は高いが売れる商品が作れないという傾向が今も続いています。

一方、海外のメガヒット商品を支えているのは、日本企業が作った高性能な部品であり、そうした外には見えない部分でのものづくりは大きな収益を上げているということもできます。また、そうした工場を高度に自動化し、高品質な製品を製造するためのFA機器や工作機械は日本製である場合が多いのです。さらに、炭素繊維など、原材料や素材の世界でも日本企業の躍進は目立ちます。

ものづくりにはこのようにいろいろなステージがあり、こうして考えると、日本のものづくりもまだまだ大丈夫、と安心していてもよいのかもしれません。しかし、やはり、コンシューマ向け製品は、付加価値が最も高く、派生するサービスなどの需要をも含めると、その経済的効果は莫大です。ソニーのウォークマンや任天堂のファミコンのように、新たなカテゴリを産み出すようなイノベーティブな商品はもう生まれないと諦めてよいという理由は、どこにもありません。

ドイツ政府がインダストリー4.0を政策の一部として掲げた理由は、国をあげての製造業の競争力強化です。製造業の競争力が相対的に落ちているのは日本もドイツも同じなのです。さらに中小企業の多い産業構造も、日本とよく似ているともいえます。勤勉な国民性からしても共通するところが多そうです。だからといって、インダストリー4.0の政策がそのまま日本にあてはまるわけではありません。「自動化という視点でいえば、日本ですでにできていることばかり」とか「目指しているところは崇高だが、どうせできるはずのない内容で話題先行」など、批判的な意見も聞こえてきます。

ただ、ここで指摘しておきたいのは、こうした楽観的、あるいは自己肯定的な方向に流れがちな日独の比較分析ではなく、あえて悲観的な視点、つまりすでに大きく引き離されており、追いつけるかどうかわからない部分があるのではないかという立場から見えてくる違いです。それは、まさにICTに対する姿勢と、標準化やフレームワークによって大連携する巧みさにおける違いなのです。

一般の日本企業では、社員の流動性が低い上に、生産現場で一人前になるには10年から15年かかるともいわれます。したがって、ものづくりの方法について、社外と比較する機会はめったになく、その必要もありませんでした。したがって、いざシステムをつなげよう、などと言った途端に、ああでもない、こうでもないと延々と議論が続きます。つまり、モノゴトを抽象的にとらえ、言語化し、形式知としていく能力において、日本人は欧米諸国から大きく後れをとっているといえます。

また、連携という観点からいえば、日本国内の場合、基本的に性善説に基づいた管理方法となっています。一方、欧米は基本的に性悪説であり、みずからすすんでカイゼンするというマインドはあまりありません。ましてや、守るべきところを守らないとすべて盗まれてしまいます。セキュリティの問題など、これまでは国内だけで閉じていた場合には問題が顕在化されなかった部分が、ICTを利活用してグローバル展開する段階になると、こうした基本的なスタンスが大きな弊害となる可能性があります。

日本の製造業が海外展開する際に、常に技術流出のリスクと向き合ってきました。デジタル化が進めば進むほど、この問題は深刻であり、結果として後発企業による技術のただ乗りを許してしまうことになるかもしれません。オープン&クローズ戦略3)によって、競争力の源泉となるコアの部分をクローズにするという理屈がわかっていても、前述の理由から、実際にその切り分けをすることができません。

ならばいっそのこと、すべてをオープンにして、競合相手をこちら側のプラットフォームに呼び込み、マーケットそのものを拡大するというプラットフォーム戦略もありでしょう。しかし、こうした戦略は、さらに高度なかけひきと、知財戦略およびマーケティング戦略を組み合わせ、国際標準化などの手法を適宜組み合わせながら進める必要があります。こうしたグローバルな規模のエコシステムを形成する能力については、日本はもっとも苦手とするところであると言わざるをえません。

インダストリー4.0の狙いや取り組みは、現在の日本の技術力からすれば、そう大きな脅威ではないと見て取った人も、もし、インダストリー4.0や、インダストリアル・インターネットコンソーシアム4)の裏側に、こうしたグローバルなエコシステムをしかけ、自社あるいは自国に有利なしくみを作り上げようとする思惑があったとすれば、いま、なにもせずに傍観しているのは、危険極まりないことであると気づくはずです。


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3. 人、道具、機械、ロボット、そしてシステム

とはいえ、そうしたシナリオが単なる思い過ごしである可能性も高く、実際に、日本のものづくりは、まだ当分の間は世界でトップクラスを維持するでしょう。今日明日に、即刻手を打たなければならない状況でないかも知れません。まずは、ものづくりの本質にいまいちど立ち返り、日本のものづくりの良さを再発見したうえで、大きな目標をさだめ、それに向けてブレず着実に成果を積み上げるというスタンスで行く必要があるでしょう。

ものづくりの現状認識として、ここ数年、世界を凌駕するような魅力的な商品が日本から生まれていないのが事実だとすれば、それは商品のアイデアや発想力の問題だけではなく、“モノ”と“つくり”の距離が離れてしまったからなのではないかと思います。つまり、生産現場であれやこれやと試行錯誤する過程の中で、新しいひらめきやつながりが生まれ、それが最終的な商品のコアとなるコンセプトあるいはモチーフに成長していく場合があります。

もしそうだとしたら、製品の設計フェーズと、製品の生産フェーズは、表裏一体でなければなりません。事実、高度な加工技術をもつ町工場の生産現場は、オーダに対応した加工も、新たな図面に対する試作も、独自のアイデアや仮説にもとづく研究も、まわりから見れば何ら境界がありません。加工しながら考え、その新たな考えをもとに加工するといったスパイラル的PDCAにより、技術が磨かれていきます。生産現場は、知識創造の源なのです。

では、自動化、無人化といった取り組みは、こうした人間中心的なアプローチと相いれないものなのでしょうか? そうではありません。非常に逆説的ですが、工場を自動化、無人化するためには、それを実現する人たちが必要なのです。無人化工場は、それを作る人たちにとって、作る対象そのものであり、無人化工場を作り動かす場所が、彼ら、彼女らの生産現場なのです。無人化工場は、それを設計し、構築し、運用し、保守する非常に多くの人たちがいてはじめて成り立っているのです。

このように、ある種、メビウスの輪的なレトリックに惑わされないようになるには、システムという概念を、ここであらためて再確認しておくとよいでしょう。一般に、システムとは、“複数の要素で構成されており、お互いに複雑に関係しあうことで、全体としてひとつのまとまった振る舞いをするしくみ”をいいます。自動車も、携帯電話も、ロボットもみなシステムです。

ここで注意して欲しいのは、システムと“私”との関係です。あるいは、システムの内側と外側の境界についてです。自動車を運転するとき、あるいは携帯電話で通話するとき、私はシステムを利用するユーザであり、システムの外側にいます。一方、生産システムではたらく作業者である“私”にとって、私は生産システムの一部であり、システムの内側にいます。後者のように、人がシステムの内部にいて、その構成要素となっているものを第二種のシステムと呼ぶことにしましょう。

これまで、工学の世界では、自動車や携帯電話など、複雑なシステムですが、人がその外側にいるシステム(これを第一種のシステムと呼びましょう)を多く手掛けてきました。その反面、第二種のシステムは、その挙動が自然法則のみに依存せず、なかなか理論化できません。人は設計者が思った通りに動かないからです。まして、カイゼンすることで、生産システムそのものを作り替えてしまうような場合、それを理論的なモデルの中に押し込むことは、もはや不可能です。

ロボットがいくら人工知能によって賢くなったとしても、あくまでそれは人が作った自律的な機械でしかありません。一方、人を含む生産システムは、場合によって、どのような生産システムにでも自在に変容することが可能といえます。人とロボットの協調、あるいは人を中心とした生産システムが重要視されるのは、このような未知の状況への対応力が求められているからなのです。

日本的なものづくり、あるいはものづくりにおける日本人のアイデンティティを論じるときに、こうしたシステム論的な視点、あるいは人とシステムとの位置関係を基準とすると、いろいろと見えなかったものが見えるようになるでしょう。以下では、こうしたメガネを通して見えてくる日本のものづくりの新しい姿を議論していきたいと思います。


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4. 日本的な工場のパラダイムシフト

加工組立型のものづくりにおいて、部品の共通化は、コスト削減と品質安定において非常に重要なポイントです。市場ニーズの多様化、個別化に対応しつつ、工場での安定的な操業を維持するためには、製品のバリエーションを、部品の組み合わせ、あるいは一部の部品の差し替えのみで対応するマスカスタマイゼーションを志向する必要があります。

また、個々の作業場(ワークセンタ)では、作業の標準化が求められます。作業を標準化することで、作業者による品質のばらつきをなくすと同時に、作業者それぞれの習熟のスピードを速め、多能工化を容易にします。個々の作業が標準化されれば、ライン全体の能力バランスや、最適な工程設計も可能となり、自動化ラインへの展開あるいは並立も可能となります。

このように、製造業の内部では、これまで、部品の共通化、作業の標準化の取り組みが、全社的な活動として積極的に行われてきました。日本の製造業の技術力と生産性の高さは、こうした取り組みの成果といってもよいでしょう。これらの活動は、設計、生産、販売などの異なる部門が連携しつつ、社内のカイゼン活動の一環としても進められてきました。

ところが、企業間では、こうした共通化、標準化といった取り組みが、まったくといっていいほど進みません。メーカー側が極めて強い影響力をもったいわゆるケイレツ企業内での連携の場合を除いて、サプライチェーン、エンジニアリングチェーンにおける共通化、標準化の取り組みは、あまり聞かれません。これは、ある意味で当然のことです。つまり、2つの組織が、協調よりは競合の関係にある場合には、お互いの利益の合計を増やそうとするWin-Winの関係は成り立ちにくいのです。

ただし、競争環境が変わり、ゲームのルールが変わると、この状況が一変することになります。マーケットがグローバルに展開し、競争相手の多くが海外のグローバル企業を含むサプライチェーンとなったとき、これまで競合していた相手とも協調しながら、グローバルな土俵で戦っていかなければならなくなりました。1990年代後半くらいから、サプライチェーンマネジメントということばが注目されるようになったのもこうした理由からです。

しかし、だからといって、企業間で、共通化、標準化が進んだかといえば、そうではありません。理由はいくつも挙げられますが、その中で、最も大きな要因として、個々の企業や工場の行き過ぎたクローズ体質と、自前主義があげられます。

基本的に、工場の内部には、多くのノウハウが暗黙知として組み込まれています。したがって、企業競争上の観点から、そうした独自の技術を秘匿することは当然の行為といえます。しかし、多くの工場では、何が固有のノウハウで、何が一般的なのかの区別がつかず、結果としてすべてを隠します。人財の流動性が少ないことも相まって、結果的にミニガラパゴスがいたるところで生まれ、個別に進化してしまいました。

もうひとつが自前主義です。ものづくりへのこだわりや、ブラックボックスを作らないという視点からすれば価値がありますが、ダイナミックなサプライチェーンや部品の共通化、要素技術の標準化といった観点からはデメリットとなります。あえて社外の標準に従わず、独自の社内標準で作ることを差別化だと言う人はさすがにいないとしても、多くの場所で、機能的に大差がないにもかかわらず、自社流に作り直すという“付加価値のないすり合わせ”が横行しているのではないでしょうか。

このように、企業内では共通化、標準化について非常に高いマインドをもった日本企業が、企業間での標準化を核とした連携強化やプラットフォーム化がきわめて不得手であるという実態が現状といえます。そして、この現状を克服し、そこでの原因となる問題を解決していくことなしには、個々の製造業が今後グローバルな競争の中で勝ち残っていくことができないのも事実なのです。

ここで解決のための糸口となるのが、厳格な標準と“ゆるやかな標準”の使い分けです。厳格な標準とは、法律で定められた安全基準や規格をはじめ、製品の機能および品質上、あるいは商品のマーケティング戦略上、必要不可欠となる標準です。一方、ゆるやかな標準は、守ってもよいが、守らなくてもよい標準です。あるいは、ある範囲の中で、それぞれの事情にあわせて独自に変更することが許される標準ということもできます。


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5. ゆるやかな標準としてのリファレンスモデル

それでは、ゆるやかな標準について、具体例をあげて説明しましょう。スモールシェフは、目玉焼きの達人です。彼の店の目玉焼き定食は絶品で、いつも行列ができます。競合する定食屋は、なんとか彼が作る目玉焼きが美味しい秘密を知ろうと、彼に詰め寄りましたが決して教えません。そればかりか、スモールシェフの厨房は、誰も立ち入ることができません。

ある日、ガスコンロが壊れました。スモールシェフは、コンロを分解して、すべて自分で修理しました。またある日、玉子の形がいつもと違うことに気付きました。スモールシェフは、養鶏所に出かけ、自分で鶏の肥料と飼育状況を確認しました。スモールシェフは、こうすることが当たり前だと信じ、こうすることに喜びを感じ、実際に店は繁盛し、いつも行列ができていました。ある時期から、スモールシェフは体調を崩し、店は閉店しがちになり、そして、病が悪化し、とうとう閉店してしまいました。

今ではスモールシェフの目玉焼きのレシピを知る人は、もう世の中には存在しません。スモールシェフは、その絶頂期に、周りの人にこう言うべきだったのです。「オレの目玉焼きは、玉子を材料として使って、ガスコンロで作るのだ!」と。あるいはさらに踏み込んで「フライパンは特製だが、油のひきかたと、火力の調節と、蓋の使い方がポイントだ。」くらいは表明してもよかったでしょう。なぜなら、これらはある意味で、目玉焼きを作るうえで当たり前の知識だからです。

この例で、目玉焼きは、玉子を材料として使って、ガスコンロで作ること、そして、目玉焼きにおいては、油のひきかた、火力の調節方法、蓋の使い方が品質を決定することは、厳格な標準ではなく、ゆるやかな標準です。この考え方に賛同するシェフだけが従えばよい内容であり、さらに、従ったからといって、目玉焼きがとびきり美味しくなる保証はまったくないのです。目玉焼きの店に行列ができるようになるには、ここで開示されたレベルから、さらに気の遠くなるほどの技術の研鑽が必要となります。

厳格な標準は、ある一定の品質を保証してくれます。一方で、ゆるやかな標準は、品質を保証しません。あえていえば、目玉焼きの作り方を1から勉強する人にとって、その労力をすこしだけ減らしてくれる効果はあります。では、ゆるやかな標準がもつ意味はなんでしょうか? ゆるやかな標準は、品質は担保しませんが、その代わりに、とてつもない大きな力を秘めています。それは、後述するエコシステムを形成する力です。

スモールシェフの例で説明しましょう。目玉焼きに関するゆるやかな標準として、材料や器具について定義し、さらに焼き方に関する1レベル深いステップと、そこでの評価指標を定義することで、目玉焼きの作り方という1つのモデルができました。これを、目玉焼きのリファレンスモデルと呼びます。これによって、新たな目玉焼きビジネスへの参入が起こり、ガスコンロなどの機器を提供する会社も技術改良を進め、玉子の生産者もより品質に注意するようになり、結果として目玉焼き人口が増えるのです。

スモールシェフにとっては、多くの競合する目玉焼き店ができても、お客様が減ることはないでしょう。コアとなる技術ついてはオープンにはしていないため、その地位を脅かされることもありません。逆に、目玉焼き人口が増えたことによって、来客数は増えるともいえます。ゆるやかな標準は、競争環境のなかで、協調関係を構築するために非常に重要な役割を担います。そして、標準として、競合相手との間でも共通の枠組みを設定し、その上で、個別の技術を付加し、差別化していくことができるしくみなのです。

ゆるやかな標準という考え方に基づいて、その具体的なしくみとしてエコシステムを機能させるために、リファレンスモデルを定義する必要があります。リファレンスモデルは、ゆるやかな標準の中核となるものであり、これによって、対象とする問題の構成要素や構造を定義します。表現する内容は、細かすぎてもだめですし、大雑把すぎてもだめです。リファレンスモデルは、対象問題において一般的にいえる共通部分と、それぞれの当事者ごとに個別である部分とを切り分けるものです。リファレンスモデルは、その内容および粒度や精度によって、競争領域と協調領域との境界をデザインし、より効果的な方向へ全体を誘導させるパワーをもっています。


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6. リファレンスモデルの国際標準

モノゴトを第三者に伝えることは、簡単そうに思えてとても難しいことです。モノなら持ってくる、コトならやって見せる、など最後の手段はあるものの、そうはいかない場合には、モデルを作成します。ファッションモデルも、CADモデルも、数学モデルも、すべて何らかの対象を表現したものであり、その内容を第三者に伝えるとともに、解析や分析などの操作によって、そこから新たな情報やアクションのきっかけを取り出すことができます。

リファレンスモデルは、この意味でいうと、ビジネスの当事者あるいはさまざまなステークホルダに対して、問題の構造を示し、ゲームのルールを示すためのものともいえます。目玉焼きのように、すでに多くのプレイヤーが存在し、そのカテゴリが認知されている場合には、帰納的にそのリファレンスモデルを決定していくことが可能です。しかし、その内容が斬新的な場合や、カテゴリキラー的な場合には、逆に先手を打って、そのパイオニアたちがリファレンスモデルを提示することで、ゲームメーカーになれるのです。

欧米では、すでにものづくりの世界におけるリファレンスモデルが提案されています。ISA-95は、生産管理、在庫管理、品質管理、そして保全管理など、製造オペレーションマネジメントと、経営システム全体との統合を目的としたモデルを定義しています。このリファレンスモデルでは、図1のように、製造業で行われているものづくり全体を鳥瞰し、それを構成する機能要素と、それらをつなぐ情報フローの形でモデル化しています5)。

ISA-95が定義するものづくりのための機能と情報フロー(IEC62264.01)

図1 ISA-95が定義するものづくりのための機能と情報フロー(IEC62264.01)

ものづくりという括りでとらえると、このようにモデルは複雑になり、さらにアクティビティのレベルにまで落とし込むには、膨大で多種多様な現実を一つずつ吟味していくことが必要となります。まさに、気の遠くなる作業です。

スモールシェフの例では、リファレンスモデルが比較的簡単に定義できました。しかし製造業全体を対象とした場合は、そう簡単にはいきません。何が違うのでしょうか? これは、スモールシェフの例は、ボトムアップアプローチであったのに対して、今回はトップダウンであるという点が異なるからです。欧米の世界では、こうしてトップダウン的にモノゴトの枠組みを決めていくのが上手なのです。

ボトムアップにどれだけ効果的なモデルを作成しても、いずれトップダウンで定めた世界のルールに従わざるを得ない領域に到達し、全体最適という大義のもと、トップダウンが全体を制するのです。決して、ボトムアップアプローチを否定するものではありませんが、トップダウン的な視点の欠けたボトムアップは危険なのです。

トップダウンアプローチをうまく取り入れるにはどうすればよいのでしょうか。そこでは、複雑な現実をモデル化するために、さまざまな手法が用いられています。その1つがレベル分けです。ISA-95では、ものづくりの全体を整理するために、4つのレベルを用いてします。つまり、経営管理のレベル、製造現場のレベル、そして制御のレベルを明確に分け、その間のインタフェースを定義することで、それぞれのレベル内でのモデルの複雑性を減らしているのです。同様にして、企画設計のレベル、生産準備のレベル、生産実行のレベル、そして保全や廃棄のレベルといったライフサイクルの視点からもレベル分けが可能です。


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7. 工場のモデルをめぐる最新の動向

もうひとつ海外の動向として注目すべきは、デジタルファクトリー標準(IEC62832)です。この仕様はまだドラフトの段階であり、国際標準とはなっていませんが、工場をまるごとデジタル化し、バーチャルな世界と現実世界とを統合的に管理しようというきわめて斬新的なものです。

表1 デジタルファクトリーのレイヤ構造

レイヤ 説明
メタモデルの世界 変換ルール、認証方法、識別コード、名付けルール、セキュリティなど
リファレンスモデルの世界 用語辞書、項目リスト、評価モデル、アクティビティモデル、オブジェクトモデルなど
デジタルな世界 データ、スキーマ、リレーション、プロシージャ、コンテキスト、オブジェクトなど
現実の世界 モノ、コト、ヒト、お金など

表1では、レイヤという考え方を用いて工場のさまざまなしくみを整理します。まず、現実の世界のレイヤは、今現在、あちらこちらで起きていること、存在している現実がそのまま対応します。人々の会話や、アナログ的な処理は、この現実の世界のレイアでの出来事です。これに対して、コンピュータが扱うことができるのが、デジタルな世界です。ここでは、データまたは信号(ビット)として、現実の世界の一部が写し取られ、同時に現実の世界と一体となって、現実そのものを変えていきます。

デジタルファクトリーの狙いは、このデジタルな世界を限りなく現実の世界と一体化させ、サイバーフィジカルなしくみとすることです。生産設備やラインの監視や制御など、生産フェーズはもちろん、設計フェーズや保全フェーズなど、工場のライフサイクル全体がそのターゲットとなり、それらをサイバー空間上でつながることで、現実の世界を連携させます。

ただし、もちろん、このようなしくみを実際に構築することは、たやすいことではありません。現実の世界は、企業の枠を超えて、あらゆるところでつながっているからです。したがって、こうした取り組みを可能とするためには、企業の枠をこえたリファレンスモデルが必要となります。表1のレイヤ2にあるように、リファレンスモデルの世界では、対象となるモノを表すオブジェクトモデルや、活動に相当するアクティビティモデルなどを、ひとつずつ定義していく必要があります。

国際標準では、個々のリファレンスモデルを定義する代わりに、リファレンスモデルを作成するためのルール、管理するためのルールなど、リファレンスモデルそのものよりも1つ高いレイヤのモデルを定義する場合があります。これらを、表1ではメタモデルの世界として定義しています。これにより、それぞれの企業が独自のリファレンスモデルをつくることが可能となるのです。

国内では、ものづくりに関するリファレンスモデルとして、PSLXプラットフォーム仕様6)があります。ここで定義された、オブジェクトモデルやアクティビティモデルを、実際の工場で現実に動いているデジタルデータと対応づけることで、業務単位で個別に実装されたICTを、相互に連携させることが可能となります。たとえば、2014年11月に東京ビックサイトで行った「工場まるごと連携」デモでは、生産計画システム、在庫管理システム、スケジューラー、MESなどの独自のデータ構造をもつソフトウェアが、PSLXプラットフォーム上で柔軟に連携できることが実証されました。

ISA-95やPSLX以外にも、製造業のリファレンスモデルはさまざまな地域や分野で存在しているでしょう。この世の中に、唯一のリファレンスモデルは存在しえないともいえます。ただし、もし、同一分野におけるリファレンスモデルが多様にあったとしても、それらを選択するデジタル世界によっておのずと淘汰され、エコシステムの形成とあわせて、リファレンスモデルも自然といくつかの主流に収斂していくと予想されます。

したがって、たとえばPSLXリファレンスモデルに日本的なものづくりの遺伝子を大量に注ぎ込んでおくことで、グローバルに勝ち残ったリファレンスモデルの一部に、その遺伝子が継承されていくことになるでしょう。


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8. 連携がもたらすメリットとは

「つながる工場」のコンセプトは、工場と工場が、工場を単位としてつながることを目指しているのではありません。こうした工場間の連携は、ICTを効率的に活用しているかどうかはともかくとして、すでに多くの工場が当たり前のように行っています。「つながる工場」では、その工場の内部が、工程間や担当業務間で柔軟につながり、そして、工場という枠を超えて、それぞれの工程や担当業務が、他の工場、他の企業の工程や業務と柔軟につながることを目指しています。

実際のところ、日本の製造業の場合に限って言えば、こうした工程単位での連携は、一部の企業間ですでに実現されているといってよいでしょう。たとえば、カンバン方式は、メーカーとサプライヤーを工程単位でダイレクトにつなぐためのしくみなのです。また、メーカーとサプライヤーが、部品設計の段階から緊密に連携することで、製造プロセスを最適化してきた例も多く存在しています。

したがって、「つながる工場」とは、こうした先進的な日本の製造業の事例でみられるしくみを、ICTという道具を駆使して、より広く多くの製造業に展開することで、わが国全体としてのものづくりの生産性、柔軟性、頑強性を高め、グローバルな競争力をさらに強化していくための取り組みともいえるでしょう。

ただしどうせなら、これまでできていたことを、そのまま展開するだけではなく、できなかったことを含めて、ICTを利用して新たにできるようにしていきたいと思います。さもなければ、近い将来、ICTを駆使した欧米の列強に完全にキャッチアップされ、これまで築いてきた地位を失うことにもなりかねません。では、どのような新たなしくみが可能なのでしょうか?

まず、これまでのサプライチェーンは、モノを介して工場と工場、あるいは工程と工程がつながっていました。サプライヤーの工場から出荷された部品は、メーカーに納品された後、受入検査され、合格品がメーカー側の工程に送られます。ただし、検査にも工数がかかるため、不良品を見逃す可能性も否定できません。

多くのメーカーでは、サプライヤーで生産される部品の品質を担保するために、その生産プロセスや管理プロセスを監査します。あるいはISO9000シリーズなどの国際標準にもとづき認証機関に監査を委託します。サプライヤーから送られるモノを一品ずつ品質検査するのとあわせて、それらのモノを生み出すプロセスの品質を担保するという発想です。



図2 情報連携のレベルの違い

ここにIoT(モノのインターネット)技術が加わるとどうなるでしょうか。生産設備やプロセスの監査の時点では問題がなくても、たまたまその部品を生産しているときに、なんらかの異変がおきているかもしれません。そうした個別の状況を、データを用いて常にモニタリングすることで察知することが可能となります。つまり、たとえサプライヤーなど企業を超えた関係であっても、規定されたプロセスや納品されるモノで品質を保証すると同時に、さらにそのプロセスを実施する際に得られたデータを用いて、個別のロットのレベルで品質を保証することができるようになります。

これは、サプライヤー側、あるいは中小製造業側にとってもメリットがあります。顧客である納入先の生産プロセスと自社の生産プロセスが、たとえば日程計画上でダイレクトにつながれば、必要以上の在庫をもつ必要がなくなります。また、品質に関する不確定要素がなくなると同時に、トレーサビリティが向上するため、発注側からの安定的な受注につなげることができるはずです。さらに、小ロットで受注設計生産を行う場合など、工程情報をあらかじめデジタル化し、実績をデータによって管理しておくことで、見積工数と見積精度が大幅にカイゼンされ、より利益率の高いビジネスモデルにシフトすることも可能となるでしょう。

工場を超え、企業の枠を超えて、生産プロセスをつなげることができるようになったとしても、必ずしも自社の生産プロセスをすべてオープンにする必要はありません。誰に対して、どの部分を、どこまでオープンにするかは、それぞれの生産プロセスをもつ側が決定します。時々刻々得られる生産に関するデータを、サプライチェーンの強化、販売力や収益力の強化にどのように使うかはまさに企業の経営戦略の一部です。こうしたデータは、活用のしかたによって、企業の競争力につながる付加価値の源泉となり得るのです。


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9. サプライチェーンからエンジニアリングチェーンへ

異次元の金融緩和による円安の影響もあって、一度海外へ出ていった日本のものづくりが、少しずつ国内回帰しているといわれています。中国はもとより、ASEAN諸国でも、かつてほど人件費は安くなくなり、これが国内への生産体制の移管の後押しをしているのでしょう。しかし、だからといって、かつてのような、薄利多売型の大量生産を再び国内の工場で行うことはないでしょう。

消費行動の多様化、個別化の流れを受けて、生産ラインでは、多品種少量生産、変種変量生産のための小ロット化がますます進み、変化の激しい需要動向に対応するため、製品のライフサイクルはますます短期化、不確実化しています。従来型のサプライチェーン、つまり、必要なときに、必要なモノを、必要な量だけ調達するだけでは不十分なのです。こうした状況に対応するには、そもそも何が必要なのか、どうやったら作れるのか、といったことをエンジニアリングの視点を含めて、企業の枠をこえて連携する必要があるのです。

エンジニアリングチェーンでは、要求される製品の形状や特性に対応して最適な生産方法を決定し、さらにそのための生産システムを設計し準備します。そこで交換される情報は、製品の形状や構造データであり、材料や機能特性データであり、生産プロセス仕様であり、品質検査パラメータであり、設備稼働要件であり、試験結果データであり、QC工程表でありFMEAシートだったりもします。

サプライチェーンと比較して、エンジニアリングチェーンは、一回のPDCAサイクルが長いのが特徴でした。製品のモデルチェンジや新製品開発、工場の新設や増設など、感覚的にいえば、年に数回といったところでしょうか。しかし、生産財の世界では、すでに個別受注設計生産が進んでおり、消費財においても、前述のとおり、製品ライフサイクルの短期化によってその頻度が増しています。エンジニアリングチェーンのスピードアップと、それを支えるICTを駆使した付加価値の高いしくみの新たな構築が求められています。

「つながる工場」によってもたらされるエンジニアリングチェーンへの貢献は多大なるものがあるでしょう。まず、工場間、企業間を論じる前に、企業内でのエンジニアリングチェーンを抜本的に見直すことができます。たとえば、新しい製品に対応して工程設計を行う際に、シミュレーションモデルを用いて解析をするとします。そこで利用されたモデルは、その場限りのものとなる場合がほとんどです。現実は、生産準備の時点で、実際に生産現場で微調整され、さらに生産が開始された以降にカイゼン活動によってさらに変更されていくのですが、それぞれの担当部門が、それぞれのデータを用いており、相互に関係性がないため連携がとれません。つまり、企業内でさえ、エンジニアリングチェーンに関するPDCAがデータとしてつながっていないのです。

もし、この企業内エンジニアリングチェーンが、データあるいはモデル上でつながっていると、どのようなことが起こるでしょうか。まず、工程設計において、モデルを用いたシミュレーションを行う際に、すでに実在する設備のデータ、生産管理で得られた過去の実績データなどを利用でき、データ入力工数が大幅に削減できると同時に、データそのものの信頼性が格段に高まります。また、シミュレーションで用いたモデルを生産管理で利用できれば、現在よりもさらにきめ細かく、かつビュジュアルな生産指示やモニタリングが可能となり、工程設計へのリアルタイムなフィードバックが可能となるかもしれません。そして、保全管理では、設備の稼働実績や今後の稼働計画と、実際の設備点検や保守作業との連携を実際のデータを用いて行っていくことで、予防保全、予知保全の精度が高まると期待できます。

こうして、企業内でのエンジニアリングチェーンをデジタル化していくことで、さらに企業間での連携へと発展させていくことができるでしょう。まず、発注者側と受注者側とで、CADデータなどのエンジニアリング情報を交換するだけでなく、それに対応する工程の履歴データ、品質試験データ、化学物質データなど、双方向のデータ交換が行われることになるでしょう。

また、特にIoTの中で注目されているのが、設備データの交換です。メーカー側としては、生産ラインを構成する設備や機器の性能データや形状データなどを、調達先であるサプライヤーから取得します。このデータは、設備管理や原価管理のマスターを作成する際に利用され、生産ラインの設計やシミュレーションでも利用できるでしょう。一方、サプライヤー側としては、設備の稼働データを得ることで、設備のリモートメンテナンスなど、アフターサービスに活用することができます。



図3 エンジニアリングチェーンにおける企業内・企業間のデータ連携

提言2 「イニシアチブ」の勧め

10. 生産技術と生産管理の統合モデル

日本のものづくりの構造的な転換が求められています。原材料を買って、製品に加工して、そして売るという当初はシンプルな行為で構成されていた製造業が、そのしくみが複雑さを増すにつれて、徐々に機能分化していき、ついには、モノと作りが分断されてしまったようです。単にコストと効率だけを追求する生産現場は、すこしずつ面白味に欠けたつまらないものになってしまうような気もします。非常に抽象的な言い方をすれば、モノと作りが一体となったユニットが、アメーバ―のように有機的に結合した、ダイナミックなものづくりの組織はできないでしょうか。若者から見ても、カッコいい生産現場、輝きのある生産現場であり続けるためには、“つくり”だけではなく“ものづくり”がセットになって、決して離れずにいる必要があると感じます。

そこへ至るための一つの手がかりは、最終的な製品を作るという立場と、製品を作る“しくみ”を作るという立場の使い分けです。工作機械を自分たちで作る、生産ラインのしくみを工夫するなど、からくりの世界にも通じたものづくりが、本来の生産現場にあるはずです。JSME-MSDモデルが示すような、工程設計、生産技術、生産準備といった機能を、人中心に極め、それを生産現場と一体となって進めていくということは、輝かしい現場を再構成するためのひとつの有効な手段となりそうです。

もうひとつの有効な切り口は、やはりICTによるデジタル化でしょう。ものづくりの世界は、アトムの世界であり、これに対する情報の世界は、ビットの世界と言われています。両者は、そもそもよって立つ原理、原則が異なるのです。工場で実際にモノを加工するのはアトムの世界です。工場から消費者へ製品を届ける物流の世界も、物理法則が支配するアトムの世界です。一方、情報社会におけるビットの世界は、物理法則に支配されません。情報は無限に複製でき、一瞬で空間を移動できます。ビットとアトムが融合したサイバーフィジカルな世界は、おそらく現在では想像できないことがつぎつぎと可能となるかもしれません。

ここで、議論となるのが、そうした世界を、だれが先頭をきって切り開くのか、つまり、イニシアチブを誰がとるかということです。現在のところ、ICTは欧米企業が完全に先行し、日本企業はそのキャッチアップに追われています。一方、ものづくりの世界では、日本企業に一日の長があります。つまり、ICTとものづくりの融合領域を誰が切り開くのは、日本企業である可能性も十分にあり得るのです。ビット側がアトムの世界を理解するのが早いか、それと比較して、アトム側がビットを凌駕するのが早いかです。

工場の側、つまりアトム側にとって、すでにビットの世界、つまりICTの世界は、情報システムの利活用という意味で、馴染みのある領域といえます。ただし、ICTの世界の怖さは、相手とつながってはじめて機能するという点なのです。たとえば、電話機は、通話の相手が同じプロトコルでなければ会話は成立しません。ネットワーク外部性と呼ばれる性質によって、つながる相手が増えるほど、その製品の利用価値は高まります。また、デジタルデータやプログラムなどは、複製コストが限りなくゼロに近付けられるため、製造原価と販売価格の関係を、これまでとはまったく異なる発想でとらえる必要があります。さらに、開発したICTの資産価値を維持するために、知的財産の管理が極めて重要となります。

この知的財産の管理技術は、“エコシステム”の形成と密接に関係しています。製品がそれ単独では機能し得なくなり、より大きなシステムの中のいち部品として位置付けられることが多くなっている中で、ある程度内部のしくみを公開することなしに製品は市場に普及しません。この傾向は、つながるための機能が、ハードウェアからソフトウェアに徐々にそのウェイトがシフトしていることにより、ますます顕著となっています。

製品と同様につながる工場も、他の工場とつながってはじめてパフォーマンスが最大に発揮できます。つながらなければ、工場にある高価な設備や機械は何の役にも立ちません。つながる工場をつなげている多くの部分は情報であり、広い意味でのソフトウェアなのです。サプライチェーンはもちろんのこと、設計プロセスや保全プロセスなどのエンジニアリングのチェーンにおいて、今後デジタル化がすすみ、さらにつながる工場に関する駆け引きがこれから激化していくでしょう8)。

ネットワーク外部性が支配する世界では、先行した者が莫大な利益を得ることになり、フォロワーにはもはや市場をコントロールする力は残されていません。半分アトムを引きずっているものづくりの世界では、そこまで極端ではないとしても、しかし今後、これからのICTとものづくりの融合のプロセスにおいて、フォロワーに徹した場合、非常に不利なゲームのルールで戦わざるをえないという状況となる可能性は大いにあります。

こうした状況を踏まえて、「つながる工場」研究分科会のメンバー有志は、それぞれの企業や団体における立場を超えて、まずはこうした連携のフレームワークの先鞭をつけようとしています。Industrial Value Chain Initiative(IVI)は、特に日本のものづくりを知り尽くしている精鋭たちが、これからの新たな時代に向けて、フォロワーではなく、リーダーとしてイニシアチブをとるという宣言です。

具体的にどのような課題に対して何から手をつけるべきか、また、どのような相手とアライアンスを組むかなどについて、賛同するそれぞれの企業の第一歩は、さまざまです。ただし、それぞれの企業は、これまでのように単独で課題に取り組むのではなく、複数のクラスタを形成しながら方向性を定め、同時にそれぞれのクラスタで共通となる要素技術、標準化技術を横串としてコンソーシアム全体で共有しながら進めていくことになります。そして、そうした活動を、外部に対して最大限オープンにし、海外に対しても情報を発信していくことで、逆に海外からの人材や知恵を積極的に取り込むという姿勢です。

国の政策に従ってトップダウン的に動くのではなく、かといって企業あるいは企業グループが独自に行動するのではなく、多くの日本の製造業が、和の精神でゆるやかに連携しながら、自発的に行動を起こし、同時に競争と協調の枠組みを内包しながら高め合っていくようなフレームワークがデザインできれば、それは今後、国際的にも大きな流れとなっていくでしょう。産学官がそれぞれの立場で協力し、当初から、国内と国外といった障壁をもうけず、グローバルとローカルの両にらみで進め、それぞれの活動をボーダレスに展開していくことで、日本のものづくりの国際的なプレゼンスも大いに上がると期待できます。

  • 8)   西岡靖之,ボーダレス時代における「つながる工場」のための自律分散プラットフォーム,システム制御情報学会論文誌,Vol.28, No.3,システム制御情報学会(2015)